HOME > 安養寺の宝物

【 寺  宝 】

不動明王ご本尊不動明王は高さ二尺の木座像である。そして本堂奥の位牌堂には、阿弥陀如来像がまつられ、全檀家の位牌が安置されています。本堂と向かい合うお堂は観音堂で聖観世音菩薩がまつられ、八王子観音霊場第十番札所である。その脇にあるのは天神社で、平成十五年に改築され学業向上と入試合格を一心に祈る若者たちが手を合わせています。

【 塩野倉之助 ・困民党碑 】 【 川口困民党 】

塩野倉之助安養寺は塩野家代々の菩提寺であり、一族の墓の他に境内には八王子在住の橋本義夫らによって昭和二十九年に建立された、困民党首領塩野倉之助碑があります。明治十七年、圧政に堪えかねた農民たちが油屋と呼ばれた豪農塩野倉之助の下に集結した。〝油屋の倉さん泣かすにわけはない、佐倉宗吾の子別れ語れ〟とうたわれた塩野は農民と共に蜂起したが、全員検挙され、塩野は投獄された。この碑は彼の人徳を偲んで郷土の有志が建立したもので、今も史家の探訪が絶えない。

【 仏画 】(第20世 土岐秀岳筆) 

仏画當山 第20世の秀岳和尚(1898.7~1945.11)行年48歳が、若き頃 京都の知恩院で絵師の田村月樵のもとへ弟子入りして画を学んでいました。本格派の画です。
【 田村月樵 】(宗立:そうりゅう、とも:1846~1918)は、現在の京都府園部の近郊に生まれ、幼い時より絵の才を表し、10歳で南画を、次の年には真言宗の画僧大願和尚の下で仏画を学ぶ。明治5年より油絵を学び、数々の展覧会に洋画を出品する傍ら文人画から洋画、そして日本画へと画風を変えたことで知られる。京都画学校北宗画の指導者となり、のち関西美術会・聖護院洋画研究所を開設、後進の養成に尽力する。晩年は、再び仏画にもどり、約2年をかけて京都建仁寺の襖絵「唐子遊戯図」を制作。大正7年(1918)歿、72才

 

【 金田 石城 】

全日本書道芸術院主宰。『墨の魔術師』『書道界の鬼才』の異名を得る前衛的な書道家

 

【 安養寺の豆知識 】

安養寺と名の付く「お寺」は韓国に一つ、日本に352ヵ寺も有ります。
関東地区には、59ヵ寺 東京には、11カ寺 そして八王子には、当山のみです。
安養寺と名の付く「人」も電話帳に掲載されている方だけで201名(2000年調べ)おられます。東京には、17人安養寺と名の付く「地名」も、すでに合併などで無くなっているものも含めると、25ヶ所あります。